約2年ぶりに実家へ帰省していた。
今年は夏休みを返上して仕事漬けの8月を送ったので、ここらで長めの休みをとろうという話だ。
5泊6日
おそらく、大学生以来の長い帰省だ。
この帰省のために数日間相当に忙しい日々を送り、なんとか胸を張って休めるような状態にした。
そして疲れ切った体で実家に辿り着く。
実家は南の島だ。移動も一筋縄ではない。
この移動でも体力を使い果たした。
しかし、久しぶりに見る島の景色と島の空気は、僕を十分に癒してくれた。
その日は、両親と兄夫婦たちと酒を飲んだ。
近況の報告や懐かしい話、甥っ子たちのエピソードなど、話題は尽きることなく楽しいお酒となった。
そして翌日風邪を引いた。
帰省前の激務と長時間の移動、その疲労にプラス深酒とくれば体調を壊して当たり前である。
景色と空気で回復するなんてことはない。
ここ数年、実家に帰るたびに体調を崩してる気がするな。
なんなんだろう。
風邪を引いてしまったので、もったいないが半日以上ずっとゴロゴロしていた。
実家でこんな風にダラダラと過ごすのも久しぶりである。
高校を卒業し地元を離れてから、実家は『住む家』ではなく、たまに『泊まる家』になった。
半分旅行のような感覚になってきたこともあり、たまの帰省では積極的に色んなところへ出かけることも多かった。
今回は家にいる時間も長く、家族と過ごす時間が多かったこともあり、ここ最近の帰省では一番、ゆっくりと実家に『住めた』気がする。
帰省して3日目の晩。
親戚も含めたみんなで夕食を共にし、ゆっくりと晩酌を楽しんでる時間のこと。
僕は、台所で洗い物をしていた。
僕は中学の頃から家での洗い物をよくしていた。
そのため、帰省した時も普通に食後の洗い物をする。
この日もごく普通に洗い物をしていたのだが、なんだか妙にやりづらい。
数年前にキッチンを少しリフォームしているということもあるが、どうにもやりづらい。
シンクの広さ、スポンジの位置、これから洗うものが置かれているスペースと洗ったものを置くスペースのバランス。
また、生ごみを入れる位置やまな板や鍋などの大物を洗うタイミング。
その全てが僕にとってやりにくいと感じた。
近くにいた兄に言う。
「この台所なんか使いにくくなってない?」
そんなに深刻に使いづらいとも思っておらず、ちょっと違和感があるなというくらいのものだ。
そんな軽い愚痴のつもりで言うと兄は、
「それは、実家だってよその家だからよ。自分で暮らしてるお前にとって実家はもうよその家と同じなんだから。」
とサラっと答えた。
「そんなもんかね~」
僕は軽く返したが、内心は結構な衝撃を受けていた。
実家がよその家?
そんなことはないと言いたいけれど、そうとしか言えようもない気もする。
ここ数年実家に対して感じていたことをすごく端的に言われた気がした。
自分が生まれ育った実家は、いつしか自分の家ではなくなってくる。
一人暮らしの僕でさえそうなのだから、所帯を持てばもっとそういう感覚になるだろう。
今回の帰省ではそんなことをすごくはっきりと実感した。
寂しいなと思う反面、自立ってのはこういうことかとも思った。
そう思えばこの台所も使いにくくて当たり前。
この台所は、父母が使いやすいようになっているのだから。
この日は僕にとって、実家がよその家になった日となった。
それから高知に戻るまでの時間、僕はこれまでよりも大事に実家での時間を過すことを心がけた。
もうよその家なのかもしれないし、自分にとって本当に使いやすく、居心地のいい家ではなくなっているかもしれない。
お風呂のシャンプーは見慣れないものだし、シャワーの高さも水圧も違う。
夜中にトイレに行くときも少し怖いし、寝るときの寝つきもよくはない。
それでも、車から実家が見えた時の安堵感。
久しぶりに帰ったとき、玄関を開けた時に感じるあの何とも言えない気持ち。
高知に戻る朝のあの寂しさ。
それはやっぱり変わらない。
次はいつになるか分からないけど、なるべく早く帰りたいな。
僕が『帰省』できる家はあの家だけだから。