6時に起床。
熱を計る。
なんとか平熱に下がっていた。
体は少し痛いがおそらく寝過ぎだろう。
ほんの少しだけ味噌汁を飲む。
うん。大丈夫。吐き気もないしお腹も痛くない。
帰る準備をする。荷物が重いと体力も持っていかれるのでほとんど段ボールに積めて送ることにした。
今回の帰省は親戚、家族みんなが日替わりでお腹を壊してずっとバタバタしていた。まさか自分もなるとは。
しかし思い返すと、毎日一瞬の隙もなく暴飲暴食を続け、暖かいからと半袖で過ごし、寝不足になるまで起きていた。これでは誰かからもらわなくてもいずれ体調を壊していただろう。
大いに反省すべきところだ。
今年の目標にひとつ追加して。
『健康に勝るものなし』
これを心に留めて1年を過ごそう。
体調は万全ではないので、そろりそろり行動する。
つくづく熱が出たのが昨日で助かった。
今日なら確実に帰れなかった。
大阪に着き、高知行きの便まで時間を潰す。
もしかしたら何か食べれるかもしれない。
熱もないし、吐き気もないし、少しだが食欲は出てきた。
体力をつけるためにも何か食べないと。
体に優しいものをチョイスしないと。
間違えた。
完全に間違えた。
26時間ぶりに口にする固形物がスパイスカレーなわけないじゃん。
おかゆとかうどんやろ普通。
案の定お腹キリキリいってるやんか。
美味しかったけど。
こんなチャレンジャー精神どっから湧いてくるねん。
ご自愛頼んます。
さて今回、久しぶりに正月に帰省したのだが。
たくさんのことを考えさせられた。
まずは、自分のルーツはここなんだという強烈なアイデンティティが顔を出したこと。
みんなの話す方言、口にするもの、目にするもの全てが自分を作っているんだということを改めて強く思うことができた。
それと同時に僕の生まれた島は大きく変わっていこうとしていると感じた。
僕の親戚をはじめとした子ども達は誰一人、島の言葉を話さない。
完全なる標準語を話す子も多くいた。
各地の小中学校は生徒数が減り、休校閉校になる学校も増えた。
人口は僕がいた頃からすると2割ほど減っている。
各集落に残る伝統的な唄や踊りは、唄える人、踊れる人が減ってきて、保存会を結成しないといけないほどになっている。
なかには誰も記録しておらずひっそりと消えてしまった踊りもあるそうだ。
一体この島はどうなっていくのか。
世界自然遺産登録をされたことで注目を集め、観光客も増えていくだろう。
これまでよりも自然保護という考えが定着し、美しい海や山が残っていくかもしれない。
それでも、もっと残ってほしいものや残すべきものもあるんじゃないかな。
島から離れた僕が言えることなんて一つもない。
それでもいろんなことを思ってしまう。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
室生犀星の詩
室生犀星のこの有名な詩は、故郷を思う詩である。
これまでの僕は、この詩のことを、1行目の通りの解釈をしていた。
つまり、故郷は遠くにいて思うものだと。
でも今回の帰省中にふとこの詩が頭をよぎった。
そこで、この詩について調べてみると
室生犀星はこの詩を故郷である金沢にいながら作ったそうです。
故郷にいながら、ここに自分の居場所はないのだということを詠ったのだとか。
僕はまったくもって故郷に居場所がないなんて思わないし、いつ帰っても温かい気持ちにさせてくれる場所だと思ってる。
それでも今回の帰省ではこの詩が染みた。
変わっていく故郷の姿に寂しさのようなものを感じたのだろうか。
腹痛に悶えた夜中中そんなことばかり考えてたんだよな。
歳を取るのはいやだな。
次は夏にでも帰るとしよう。
異土の乞食になっても、ならなくても。