むらよし農園

面白いことが書ければと。

坊主ってそんなにダメなの?

 

夏の甲子園

熱い闘いが繰り広げられた本大会も今日の決勝戦を残すのみになった。

 

決勝は仙台育英(宮城)vs 慶応(神奈川)

 

今年の春のセンバツでも互角の戦いを繰り広げた強豪同士の決勝となった。

 

両校ともに安定した強さを見せながら勝ち上がってきたものの、報道には大きな偏りを感じてしまう。

 

個人的な感じ方かもしれないが、慶応にスポットを当てた報道ばかりが目に付く。

もちろん、その強さや、107年ぶりの全国制覇がかかっているという点は注目のポイントではあるが、どうもそれ以外に注目がいっている。

 

1つはあの『清原』の存在だろう。

慶応には、元プロ野球選手である清原和博さんの息子がベンチ入りしている。

それは注目されるに決まっている。

だって清原だもん。

甲子園に清原が帰ってきたとなれば注目を集めて当たり前だ。

 

 

坊主はダメ?

しかし、ネット上を中心に最も話題となっているのは『髪型』についてである。

 

慶応の選手は、これまでの高校球児がしていたような坊主頭ではなく、選手それぞれが自由な髪型を選択できている。

 

そのことがメディアでは大きく取り上げられ、少々過熱すぎでは?と思うくらいのフィーバーぶりである。

 

なかには、とあるネット記事で

「非坊主の慶応が坊主頭の高校に勝つ姿は痛快」とまで書かれている。

 

坊主vs非坊主のような構図にする必要ある?

 

 

そんなに?

そんなに坊主はダメなの?そんなに嫌われるの?

 

もちろん僕だって分かってる。

 

みながこぞって否定してるのは、坊主頭という『髪型』ではなく、それを強制するような『体制』だということを。

 

だが、その体制への嫌悪や拒否感が全て坊主頭にぶつけられている気がしてならない。

 

なぜこんなことを思うのかには理由がある。

 

 

島の話

僕は中学時代、坊主だった。

 

そしてその坊主は、指定の髪型だったのだ。

小学校を卒業し、中学校に入学するときには強制的に坊主である。

 

そしてそれは学校によって定められた校則ではない。

 

島全体で決まっている伝統だった。

 

僕の住む島では、どの中学校も男子は例外なく全員坊主。

問答無用で刈られまくっていた。

 

今年の甲子園で話題になっている、野球部の全員強制坊主なんて甘いもんじゃない。

 

島に住んでれば強制坊主なのだ。

何部に所属してようがそこに逃げ場はない。

 

島にいる全ての中学男子は全員坊主頭。没個性どころの話ではない。

 

慶応の対戦相手の坊主集団を叩きまくっているネットの方々が知れば、発狂するような状態だったのである。

 

しかし、僕らは特に何も思っていなかった。

もちろんなかには嫌がってる人もいたかもしれないが、僕の周りの友達は坊主のほうがいいと言って率先して刈り上げていた。

 

どの家にもバリカンがあったし、みんな坊主ならセルフカットできる技術を持っていた。

 

もちろん、思春期の真っただ中だ、サラサラの髪型に憧れていたのは否定しない。

しかし、部活動に夢中になり、毎日汗だくで活動してる僕らにとっては、坊主よりもいい髪型はなかった。

 

僕の周りはたまたまそんな感じだったので、誰も文句ひとつ言わずに坊主をしていたが、島全体でこの決まりを守っていたのはすごいことだと今にして思う。

 

まだこの伝統が残っていれば、死ぬほど叩かれたことだろう。

 

そう、この坊主の伝統は今はもう残っていない。

 

僕が大学生になったあたりでなくなってしまった。

 

島にやってきた都会の出身の弁護士が、島の中学生は全員強制坊主というのを聞いて、これは人権侵害にあたるということで訴訟を起こした。

 

この訴訟によって、あっさりと坊主の強制は終了した。

 

僕が生まれるよりもずっと前から当たり前にあったものが、たった半年足らずの訴訟で終了したのだ。

 

生徒からは喜びの声もたくさんあったが、保護者たちからはブーイングもあったそうだ。

僕自身、当時この話を聞いて、

「島の人間じゃないやつがしゃしゃり出てきて何勝手なことしてくれてんねん!」と島国根性丸出しに憤慨していた。

もちろん今はもっと大人なのでそんなことは思わない。

 

まぁこんなもんは賛否両論あって当たり前。

 

だが、体制として髪型を強制すること自体はどう考えても間違っているので、なくなってよかったのだろう。

 

だが、当事者であった僕らは、実際に坊主にすることに抵抗はなかったし、髪長いのは邪魔なので、望んで坊主にしていたんだ。

決して強制されて坊主にしていたわけではない。

 

そんな人間もいるのだ。

 

 

叩くべきは坊主頭じゃない

何が言いたいのかというと、全員坊主頭を強制している野球部を必死に叩いている人たちは、叩く場所を間違えないでほしいということ。

 

叩かれるべきはその体制にあって、そこにある無数の坊主頭ではない。

 

その体制に飛び込んで頭を刈られている生徒たちは、『野球が上手くなりたい』『勝ちたい』という強い気持ちを持ってそこにいる。

 

髪型は坊主、監督の言うことは絶対、スマホ禁止・・・などなどの厳しいルールは時代にそぐわないかもしれないが、それを望んでそこに飛び込んでいる生徒たちがいることを忘れないでほしい。

 

今の報道を見ていると、坊主頭であること自体が時代遅れであり、悪であるかのように見える。

 

そうじゃない。

 

それを強制する体制が時代遅れなだけ。

 

そして個人的な考えでは、時代遅れな考えが100%悪いとも思わない。

誰かに多大な迷惑をかけてしまうような考えじゃなければ、それを許容するのも一つの多様性だろう。

 

自分の好きな髪型を選択できる自由があれば、髪型を強制される学校を選ぶ自由だってある。

それが多様性だ。

 

叩きやすいからってペチペチペチペチ坊主頭ばっかり叩くのはやめてね。

 

まぁそういうことです。

 

さて決勝が楽しみだ。

 

今週のお題「これって私の地元だけですか」