むらよし農園

面白いことが書ければと。

断捨離のたびに一旦散らかる現象ってなんて名付けようか

この土日を使って衣替えと断捨離を敢行。

それと同時に、いらなくなったがまだまだ使えそうなものや、価値のありそうなものはブックオフやセカンドストリート、メルカリなどで売ることに。

 

現在ぼちぼち売れていっているので、その内まとめて記事にしたいと思う。

 

押し入れに入れていたこまごまとしたバッグや袋、キャンプギアなどを収納ボックスに入れてまとめていく。

 

カッコいいボックスに入れるとそれだけで片付いてるように感じる。

 

 
そしてもともとの衣装ケースを出したり、春夏物を出したり、いらないものをまとめてみたり、売りたいものをまとめてみたり。
 
 
あれ?
 
片付けているはずなのにどんどん部屋が散らかっていく。
 
それも半端じゃなく。
 
外には花粉がまだまだ舞っているので、大きく窓を開けることも出来ない。
埃っぽい部屋の中で、終わりの見えない断捨離を続ける。
 
でも結構この時間は嫌いじゃない。
 
綺麗にするために一度散らかってしまう現象。
 
ルービックキューブで、揃えるために、ある程度揃っている状態から大きくずらしていくような。
 
長い縦棒が来ないために、その部分だけ残して積み上げてしまうテトリスのような。
 
絶対に家の中のモノの総量は減っているのに、めちゃくちゃ散らかってみえる。
そのなんともいえないジレンマが好きなのかも。(変態)
 
この、断捨離の最中にめちゃめちゃ散らかる現象を今日から『第三形態』と名付けよう。
もちろん着想は、シンプルな見た目の最終形態前に、後頭部がありえない程飛び出てしまうフリーザ様から。
 
 
ここまでで、ゴミ袋2つ分の可燃ゴミ。
ゴミ袋2つ分の不燃ゴミ。
 
を出すことが出来た。
 
ホントはもっともっと出すつもりだったんだが、確実に要らないと分かっているのに、一旦保留ボックスに放り込んでしまう。
 
これを繰り返して結局何年も捨てられないものばかり。
 
それだけ大事なものなのかと言われても分からない。
 
断捨離の時にしか目にしないあたり、きっとさほど大事でもないはず。
なのに捨てられない。
てことは大事なのか・・・
 
でも、こいつを見たり着たり使ってる未来の自分は見えないんだよな。
 
じゃあ要らないか。
 
いやでもな・・・
 
 
断捨離ってのは、こうやって過去の自分が手に入れたものと向き合うことで過去の自分、ひいては未来の自分と向き合う時間なのかもしれない。
 
掃除のカリスマとして知られる『こんまり』さんが言うのには、
 
捨てるかどうかを見極めるときには、要るか要らないかではなく、『ときめく』か『ときめかない』かで決めるといいそうだ。
 
どんな場面でも、割とときめきやすい僕には難儀なやり方である。
 
 
不燃ゴミや粗大ゴミを出せる、月に一度の資源ごみの日は明日に迫っている。
 
まだ僕の断捨離は終わっていない。
明日までにこれからどれだけ捨てれるか。
 
どれだけミニマリストになれるのか。
 
やるだけやってみよう。
 
心も体も身軽になるのがいいんだから。