ヤバいヤバい。
いつの間にかこんな時間だ。
ごそごそと片づけをして帰る。
帰り道にスーパーに寄って総菜を買うか外食。
帰ってビール飲んで就寝。
毎日毎日同じことを繰り返してる。
こんなことじゃいけないよ。
肉体の疲労もさることながら精神の疲労も大きい。
やはり遊びが必要だ。
Chill Outしようぜ。
今週のお題「何して遊んだ?」
「何して遊ぶ?」
そんな会話はもう20年くらいしてないと思う
いつから使わなくなったんだろう。
高校の時は部活ばっかりで遊んでないし、たまに遊ぶときは目的もなくダラダラと過ごすだけだった。
大学生になると遊び=飲みなので「飲みいく?」っていう言葉しか使わなくなる。
そしてそれは社会人になった今でも変わらない。
遊ぶってことを忘れたんだ。
小学生の頃の「今日何して遊ぶ?」っていう感覚が懐かしい。
夏の真っ盛り、早起きをしてラジオ体操。
ラジオ体操が終わればそのまま友人たちと作戦会議。
今日は何しようか。誰々の家でゲームして、怒られたら学校行って野球して、熱くなったら泳ぎに行くか?
隣の町の川までチャリで行ってみるか?20キロくらい離れてるけどこの時間からならなんとか行けるよ。
一回家帰って朝ごはん食べてくるからみんな8時に公園集合な。そのあと山に行って果物盗んで来ようぜ。
今日は釣りに行こう。父ちゃんの友達がどこどこの磯でデッカイ魚釣ってたらしいから行ってみようぜ。
そんな会話を夏休みの間毎日してたんだ。
楽しかったんだろうな。
今書きながら悶絶するほど。
何して遊んでたのかなんて大した問題じゃない。
僕の住んでた田舎でできることなんて、野球、ゲーム、釣り、泳ぎ・・・そんなもんだ。
よく飽きなかったなと思う。
でもそれでも楽しかったのは、『何をしてもいい』という解放感に他ならない。
何をするのも自由。自分たちですべてを決められることがたまらなくワクワクしたんだ。
あんな時代はもう帰ってこない。
今の制約のある生活は窮屈だ。
だが、いや、だからこそ、気持ちだけでも自由に遊びたい。
今日どんなに遊んでも翌日の仕事からは逃れられない。
それでも自分の気持ちだけは縛りをつけたくない。
それこそがストレス社会を生きるスキルなんだ。
仕事のために生きてるんじゃない。生きるために仕事してんだということを忘れてはならない。
プロレタリアートの精神の反逆だ。
今日も帰って寝るだけの終業時間。
それでもいい。
遊ぶ相手なんていない。
それでもいい。
自分自身に言ってやろうぜ。
「今日何して遊ぶ?」