最近ちょっとした異変を感じている。
連日深夜まで続くデスクワークのせいか背中、特に首から肩にかけての辺りである。
なんと表現していいか分からないが、皮膚の「質感」が変わった気がする。
ホントにうまく表現できないが、触った感触が体の他の部位とは少し違うようである。
おとといの朝に気付いてからは、ずっと気になりっぱなしだ。
そして今日の朝になりやっと気づいた。
これは『痺れ』だと。
もともと頸椎椎間板ヘルニア持ちの僕は昔から首の痛みと戦い続けてきた。
なので痺れなんてのは慣れっこだったはずだが、これまでのように激しく鋭い痺れではない。
なんというか、のっぺりとしたじんわりとした痺れが広い範囲を襲っている。
これは嫌な感じだ。
今すぐどうこうの痛みではないが早いうちに改善が必要だろう。
今日も帰りは22時過ぎ。
改善しろよ。
いつまで職場おんねん。
痺れてまですることか。
さっさとこんなアホみたいな状況終わらそ。
さてお題でも。
英語が使えたらしたいこと。
僕は小学校6年生の頃から英語を熱心に勉強し、高校時代はホームステイをしていた。
さらに学生時代は好き勝手に海外へ旅に出たりと、英語を使う経験は割と多かった。
人並みには話せるし、旅の間に困ったことはほとんどない。
しかし、もっと話せたらと思う場面は数多くあった。
よくあるのは、ドミトリータイプのゲストハウスで同室になった旅人と話をする中で、相手が何を言っているかも分かるし、僕が伝えたいこともほぼ伝えれる。
だが、
面白いことが言えない。
全然ユーモアが出せない。
ウィットに富めない。
クソ真面目な話しかできない。
僕は自分で言うのもなんだが、面白いことが言えない人間ではない。
そのため、外国人と話していると
「くそ、ここでボケたい!!」
「小粋なジョーク言いたい!!」
「あっ、ちょっと面白いこと言ってくれてる、ちゃんとノってあげたい・・・」
そういうことを考えすぎて全然楽しめない。
非常に悔しい思いをする。
例えば
タイの激安ドミトリーで同室だったアフロのイタリア人と朝食を食べているときのこと。
「日本のアニメってホント最高だよな。」(山寺宏一の声で再生)
「分かってるじゃん。何が好きなん?」
「サムライチャンプルーはマジのマジで最高だよ」
ドラゴンボールとか、ワンピースを想定していたので驚いた。
こいつ出来るやつだぞ。
「サムライチャンプルー好きなんて通だね。かっこいいし音楽もかっこいいしホントクールなアニメだよ。」
「だろ?あんな素晴らしいアニメが作れる日本は最高にクールだし、一度は行ってみたいんだ。」
「いいじゃん!!いつでも来いよ。飯もウマいしいいとこやで!」
「サムライがいた時代からラップバトルしてた国なんて最高にクールだもんなwww」
めちゃめちゃ期待した顔でこっちの反応を伺っている。
確実にボケている。
サムライチャンプルーは時代劇風のアニメだが、ダンスやラップなどが出てくるスタイリッシュな新感覚時代劇だ。
多分そのことを揶揄してボケてきてる。
めちゃめちゃノっかりたい。ノリツッコミしたい。
かぶせてボケたい。
彼の渾身のボケに応えたい。
「あっ、あぁ、ハハハ。うん。その通りだね。」
僕はこの時ほど自分の英語力を恨んだことはない。
彼の落胆した表情を忘れたことはない。
この時のような場面は、旅してる間何度もあった。
だが、「笑い」というものは一朝一夕で身につくものではなく、長らくその言語を使って初めて分かるもの。
言葉を使うという行為の最上級に高度な技術だと思う。
戦後、日本はがむしゃらに働いて高度経済成長を達成した。
それなのに、世界からは尊敬されず、エコノミックアニマルだなんだと言われた。
メガネをかけたガリ勉の真面目小僧というレッテルを貼られたのは案外シンプルに英語力のせいかもしれない。
事実、アフロイタリア人は間違いなく日本人はつまらないと思っただろう。
僕のせいで。
僕が英語を自由に使えたら、旅に出て
イタリア野郎相手にボケ倒したいです。
以上。
疲れたおじさんの思い出話でした。