早朝いつも通り仕事へ。
寒いな。
恥ずかしながら朝仕事行くまで、2月23日が祝日だという事実を忘れていた。
もちろん日本人として2月23日が天皇陛下の誕生日だということは知っていた。
でも忘れてた。
分かっていても分かってなかったんだな。
急に明日が休みになったことで、1日ずっとふわふわしていた。
2022年2月22日。なんだかいいよね。
僕の直の上司の誕生日でもある。
朝そういう話をしていると、
「こんな誕生日の日にめんどくさい会議出たくないな~」
と言い出した。
そう。今日は午後から長くなることが確定してるクソめんどくさい会議が入っている。
「あ~今日は体調も悪いのにな~」
おや?これはもしや・・・
案の定上司は午前中のうちに会社から消えていた。
自由人め。
ダサいことしないでくれ・・・
さてそのめんどくさい会議。
始まって1時間半が経過しても全く終わる気配を見せない。
僕らの住むこの地球にとって少しでも有意義な話し合いになってるのだろうか。
この時間はどこの誰にとって、どんな意味があるんだろうか。
1日24時間という限られた時間、我々が過ごしたここまでの1時間半は地球にとってなにか意味のある時間だったんだろうか。
この時間が外国の人に何かいい影響を与えるのだろうか。
さらに、まだまだ続けようとする人たちは何か呪いでもかけられているのだろうか。
「会議早く終わらせたら死ぬ」病にかかってるんだろうか。
ずっとそんなことばっかり考えていた。
つい思考が地球規模、ワールドワイドになってしまうのは僕の長所だね。
そんな会議も2時間が経過したところで本日一番のヒートアップを見せる。
しばし、声のボリュームを間違えた大人たちの激論が続く。
2時間半を過ぎたところで試合終了のゴング。
本日のMVPは、
自分とこの部署の要求を突っぱねられたことで拗ねに拗ねて、会議終盤に終始投げやりな態度を隠そうとせず、会議後に悪態をついていた部長(52歳)さんだろう。
なんてダサいんだ。
僕もあと20年もしたらあんな感じになるのかな?
えっ絶対嫌だ。
僕は常々思っていることがある。
それは「ダサい」人になりたくないということ。
ダサいとは、「恰好悪い」「野暮ったい」「垢抜けない」などといった意味を持つ俗語である 。1970年代前半から関東地方の不良少年や女子高生の間で盛んに用いられ、1970年代後半には若者語として定着した 。 Wikipedia先輩より引用
なんだろうな、ダサいって言うのは見た目とかの話では全然ないはず。
生き方?考え方?生き様?
自分の価値観で測るものなので、僕がダサいと思っても他の人にとっては全くもってそうではない場合もある。それは重々分かっている。
自分のこれまでの人生を振り返るとダサいことのオンパレードである。
小学、中学、高校、大学・・・
ダサいことをし続けて積み上げてきた自分だ。
だからこそ、過去にしてきたダサいことへの嫌悪感は凄まじいし、自分がダサいと思うことに敏感だ。
ここで、世界中の人に嫌われるかもしれないけど、自分的にダサいなと思うこと言うね。
あくまで僕が思ってるだけで、他の人からしたら全然そんなことないことも分かってるからね。
こんなこと言う僕の方がダサい可能性もめっちゃあるからね。(バリアしすぎ)
北京五輪での羽生選手ダサくない?
ちょっと持って勘違いしないで。
嫌いとかではない。
これまでの実績や彼が成してきたことは、文句なく世界有数のアスリートであることを証明している。
それはすごくよく分かる。
どんな努力をすれば、五輪2連覇なんて偉業を達成出来るのか見当もつかない。
五輪王者として抱えるプレッシャーは凡人には分からないところだろう。
そういった点は本当にリスペクトしているし、これまでの彼の実績にケチつけるなんてことはありえない。(ビジュアルまでいいという点においては嫉妬を禁じ得ないが)
だが、今大会に関しては正直ダサいとしか思わなかった。
どんなに調子が悪くても、体の状態が万全じゃなくても、彼が今できるベストを出してほしかった。
結果に執着し、泥臭くても勝ちにこだわり、しがみついてほしかった。
4回転アクセルに挑戦するっていうことも素晴らしいかもしれないけど、練習でもほとんど成功しない技をする時点で勝負を投げているように見えてしまった。
ネイサン・チェン選手に対してまともに勝負しても勝てないから、それなら思い切った挑戦をしましたっていうほうが自分の名誉が傷つかない的なね。
もちろんこれはぼくの勝手な思い込みなので、彼の挑戦を良しとする世論も全然分かる。
そして試合後のコメント全般に対してもダサいと思ってしまった。
どのコメントがってのは出さないけど、僕がこれまで見てきた様々なアスリートの、試合後の敗戦の弁で最もかっこいいと思ったものを紹介する。
「自分が弱いから負けたんです」
これはシドニー五輪、柔道の決勝で敗れた篠原信一さんの試合後のインタビューで出たコメントである。
知っての通り「世紀の大誤審」と呼ばれるほど不可解な判定によって敗れた篠原さんは誤審に対する不満を一切漏らさずに、負けた自分が悪かったという潔さを見せた。
僕の価値観ではこれが「かっこいい」になる。
だからこそ今大会の羽生選手のコメントはダサいなって思い、とても残念だった。
彼のこれまで成してきたことを思うととても残念だ。
こんなこと書いたってしょうがないのは分かってる。
でも、いつの日か自分でこの記事を読み返したときにどう思うのか知りたいから今自分の考えていることを書いている。
もしかしたら来年の自分が見れば、ダサいこと書いてんなと思うかもしれないしね。
あぁこれでこのブログの閉鎖かな。
世界中の羽生ファンに殺されるのかな。
でも、そんなに多くの人が見てるわけじゃないしいいか。
ダサいって感じるのは人それぞれってことが言いたかったんだよね。
だから、こんな2ちゃんに書くようなことを22時過ぎに唐揚げとビール飲みながら書いてる自分が一番ダサいんだよね。
さぁ、明日は休みだ。
おじさん休日コーディネーターの腕の見せ所だ。
今週のお題「冬のスポーツ」