むらよし農園

面白いことが書ければと。

でも、やるんだよ

昨日でこのブログを始めて300日が経った。

 

我ながら大したものだ。

 

最近は仕事も忙しいし思ったような毎日を送れていない。

正直ブログを書く時間すら惜しいと思うこともしばしば。

 

だがなんとか続けようと頑張っている。

 

僕が書くことをやめたとて世界になんの影響もない。

そんなことは分かっている。

 

それでもやめないのは何でだろう。

 

 

毎日毎日遅くまで残って仕事をする。

なかには僕がやらなくてもいいようなものもある。

 

また、こだわりを捨てて、ある程度のところでやめたっていいものも無駄に時間をかけている。誰もそんなこと求めてないのに。

 

一体なんのためなんだろう。

 

 

僕はそういう時にいつもこの言葉を思い出す。

 

 

 

「でも、やるんだよ」

 

 

 

これは根本敬さんという方の『因果鉄道の旅』という本の中に出てくるおじさんの台詞だ。

サブカル界隈の人から絶大な人気のマンガ家でありエッセイスト。

そんな彼が生み出したこの言葉は多くの人を勇気づけ続けている。

 

 

もう少し詳しく説明すると、この本の中の話。

しおさいの里という捨て犬を世話している施設にボランティアのおじさんがいる。

 

500頭の捨て犬を世話するおじさんは飯も食わずに働く。

 

犬のエサやりが終わった後、エサが入ってた器を洗剤でゴシゴシと洗うおじさん。

そのおじさんが洗いながら言う台詞。

「いいか、俺はね、毎日1日2回エサやるけど、エサが終わると全部いちいちこうやって洗ってるんだよ。ピカピカに。でもわざわざこんなの洗剤使ってゴシゴシこする必要ないんだよ。

な?こんなこと無駄な事だと思うだろう?そうだよ。無駄なんだよ!

でも、やるんだよ!」

ドスのきいた声で叫ぶおじさん



 

初めてこの言葉を見た時は衝撃を受けた。

 

意味とかそんなのは関係ない。この言葉の持つ力というか圧にやられたんだ。

 

なんだろうかこの言葉は、「やるんだよ」だと多分一切刺さっていない。

 

「でも」がつくことで一気に名言へと変わる。

 

また、やる意味もないかもしれないこと、その行為をあえてやり続けるという行為はもはや正気ではないかもしれない。

その狂気性。

現状を変えられない「諦め」にも似たような哀愁が人を惹きつけるのだろう。

 

自分がしていることに意味があるんだろうか?

こんなことして一体何になるんだろうか?

やり続ける必要があるのかな?

 

 

それらの問いに一発回答。

 

「でも、やるんだよ」

 

この言葉は誰かに言うってより自分に言う言葉なんだ。

 

正直この言葉を聞いても何も感じないどころか、どのへんが名言なの?と思う人も多いと思う。

 

だがそれは仕方ない。

あんまり意味わかんないもん。

 

でも僕はこの言葉に感銘を受けることができた自分を誇りたい。

 

こんな格好いい言葉を格好いいと思えるんだから。

 

 

この言葉は、スチャダラパーやライムスターといったHIPHOPのレジェンドたちにも影響を与えた言葉だという。

 

両者とも歌詞にも登場させるくらいだからよほど強い影響を受けたことだろう。

 

 

僕が以前記事にした「やらなきゃ意味ないよ」という言葉も似たような圧を持つ言葉だ。

 

murayoshinouen.hatenablog.com

 

効率だとか、能率だとか、そんなことばかり考えていてはこの言葉の良さを分かる日は来ないだろう。

 

 

僕がブログを書くことに意味なんてないのかもしれない。

やめたところで世界は変わらない。

 

毎日の時間を圧迫し、仕事にも影響を与えてるかもしれない。

パソコンばかりいじって肩こりを悪化させてるかもしれない。

 

 

だからどうだというのだ。

 

自分でやると決めたこと。

やめると自分で決めるまではやり続けないと。

 

 

いつだって心の中には響いている。

 

 

「でも、やるんだよ」

 

 

この言葉がある限り僕は生きていける。

そんな気がする。

 

 

それではみなさん、いい日曜日にしましょうか。