本日は節分なり。
節分とはそのまま季節を分けるという意味があり、新しい季節の前日を指す言葉だ。
この時期の節分は立春の前日。
つまり春の前夜祭だ。
今ほど暖房もなく、辛く長いものだったはずの冬。
そのため、春を待ちわびる気持ちは強かっただろう。
そうしてやってくる春を祝う行事として節分があるのは分かる。
また、季節の変わり目というのは心身のバランスを崩しやすいものでもあり、そのような災厄を『鬼』という厳つい存在に置き換える。
その鬼を払うために豆をまいたり、柊やイワシを飾る。
うん。ここまでは分かる。
でもどうしてもあいつのことはまだ認められないんだ。
「恵方巻」だけは。
どうしても商売しか感じられないし、途中から入ってきた感が否めない。
まぁ全然喜んで食べてるんだけどね。
余談だが、野菜が嫌いな叔父さんは特に水菜を毛嫌いしており、どこの誰に聞いたか分からないが
「こんな昨日今日野菜になったような新参者が食えるか」と言っている。
水菜は江戸時代にはその名前で文献にも載ってるし、別の呼び名では900年代には登場している歴史ある京野菜だ。
あれ?僕が言ってるのは叔父さんと同じようなことかな?
ちょっと調べてみたら恵方巻も江戸時代には大阪の方で流行していたものらしい。
仕事終わりにスーパーに寄る。
こんだけ言っといて恵方巻を探しちゃう自分、嫌いじゃないよ。
でもなかった。
ちょっとよく分からないが、予約制になっていたようで買えなかった。
うん。フードロスとかの問題もあったもんね。
余るよりは全然いいよね。
仕方ないね。チクショウ。
でも豆まきだけはしたい(一人だけど)
「鬼は外、福は内」って言いたい(一人だけど)
鬼のお面かぶって鏡に向かって投げたい(一人で)
家で一人そんなことをしてる奴がいたらそれこそ『鬼』そのものだろ。
今週のお題「鬼」
豆を探す。
とりあえず特設コーナー的なとこにはもう置いてなかった。
それならばと通常の豆コーナーを探すも、そもそも通常の豆コーナーなんて普段見ない。
結局見つかったのは生の大豆だけだった。
恵方巻のみならず豆も諦めて帰宅する。
晩ご飯を食べてまったりする。
今日はお酒飲まない。
ノンアルコールビールで頑張る。
ノンアルは「カラダFREE」を推している。
美味しいし、お腹まわりの脂肪まで落としてくれる。
これを飲みながらテレビを見ていると、家族のグループLINEが騒がしいことに気付く。
兄や弟が、お家での節分動画を載せていた。
兄、弟が鬼に扮して登場し、甥っ子たちが泣きながら豆を投げるというほほえましい動画だ。
とてもほっこりした気持ちで見ていると、
心の声が聞こえてくる。
「節分らしいことしてないけど大丈夫?」
「日本人らしいことしなくていいの?」
「風流を大事にするんでしょ?」
「一人でノンアルコール飲んでるなんてダサくない?」
まただ。
こういうときいつも僕の心の捨丸が叫ぶんだ。
確かに、こういう季節ごとの行事を無視するようになったら格好悪い大人になってしまいそうだ。あと、最後のやつ口悪いな。
恵方巻を買う気も豆を買いに行く気も起きなかったのでこれで許してもらおう。
これも豆だろ。
これをテーブル上でポンポンと投げて、ライトな鬼は外~をした。
そしてこれを肴にしてこんなことになってしまった。
黒糖でコーティングされた豆をかじって黒糖焼酎のお湯割りをあおる。
最高の組み合わせだ。
こんな節分があってもいいと思う。
一般的に甘いものはお酒のあてになりにくいけど黒糖と黒糖焼酎の組み合わせはガチ。
ホントにおすすめだからみんなやった方がいいと思う。
きっと心に福があらわれるから。