朝8時前に起床し、新年をスタートさせる。
朝風呂に入り、気分もスッキリ。若干の二日酔いではあるが悪くない1年の一歩目だったはず。
まずは我が家で『三献(サンゴン)』をいただく。
これは1月1日に食べることが決まっている、島の伝統的な正月の献立のことを言う。
お雑煮、刺身、豚の汁。
この三つを三献と呼ぶのだが、家庭によって若干の違いがあるのが面白い。
雑煮の中身はもちろん、豚の汁はすまし汁仕立てのものもあれば、うちのようにみそ仕立てのものもある。共通しているのは豚とショウガが入っていることだ。
これらを食べることで新年の幕開けとなる。
この豚の汁は「シンカン」と呼ばれている。
うちでは骨付きの塩豚を煮込んだみそ仕立ての汁だ。
朝からこんなバカでかい豚食うなんてパンチ効いた正月は珍しいだろう。
この島は年末の大晦日にも食べる料理が決まっている。
それは豚の骨付き肉とツワブキの煮物だ。
シンカン同様、バカでかい骨付きの豚を食らう。
大晦日も正月も豚料理なのには理由がある。
薩摩や琉球の支配が長かったこの島では、豚肉などの高価なものは年末年始とお盆くらいでしか食べることができなかったらしい。
そのため、日持ちのする塩漬けの豚を年末年始に盛大に食べてってことだ。
また、沖縄同様、島ではおせちの文化はない。
これは僕の推測だが、お節料理の役割を果たせないからだと思う。
おせちは日持ちのする料理を作り、三が日の間食べられるようにしていると聞いたことがある。
この島の気温ではおそらくそれができないのでおせちというものはないんじゃないかと思う。
だって今日半袖だもん。
昔は何にも考えずに食べていた料理や、行っていた行事も、すべてに歴史や先人の考えが詰まっていることを実感する。
親戚のおばちゃんたちの、そういう昔話を肴に酒を飲む時間は楽しい。
今日はまた一つ面白い話を聞いた。
この町の外れにある、とある集落にまつわる話だ。
端っこも端っこにあるため、ネイティブな僕らでも訪れることはない。
しかし、名前は普通に知ってるし、そこの集落出身の友人もいる。
叔母の話というのは
「その集落の住人はポルトガル人の血が入っている」というもの。
何を言ってるんだと思ったが、僕の友人の顔を思い出してみると
どう考えても外国人の顔してた。
両親ともに島出身のそいつは、ほんとに外国人、またはハーフの顔をしていた。
それに、そいつ以外のその集落の人も似たように外国人のような顔だ。それがポルトガル人かはわからないが・・・
その集落は、外海に面しているものの、少し入り組んだ入り江の奥にあるため、外から見るのは難しい。
陸から行こうにも、山を越えて、越えて、越えないと行けないのでかなり孤立した感のある場所だ。
叔母曰く、そういう立地だからキリスト教の宣教師たちの隠れ家になっていたはずだ。
そうして島に居ついたポルトガル人たちが複数いたに違いないと。
まったく何の研究も勉強もしたわけではない叔母の話だが、妙に説得力があり少し考え込んでしまった。
うちの島にも教会はあるし、隠れキリシタンや潜伏キリシタンがいたという話も各地で残っている。
しかし、うちの町ではそういう話はなかったはず、教会もほとんどない。
しかし、叔母が言うようにこの集落でそのようなことがあったとしてもなんら不思議ではない。
今回は叶わないが、次回は潜入調査を実施してみたい。
離れて暮らす島だからこそ、島に対しての興味は尽きない。
さぁ今日も面白い話を聞きながら焼酎飲んでみようか。
ちなみに、正月に親戚や友人の家にあいさつに行けば、必ずその家の三献を食べさせられることになる。
僕は今回三献を3セット食べた。
順調に太ってるよ。