(ドン・・・ドン・・・ドン・・・)
おっ、もうこんな時間か。
玄関の外から聞こえてくる規則正しい音が朝6時45分を伝えてくれる。
僕はこの音が聞こえると朝食を片付けて職場へ向かう準備をする。
この音は、マンションの隣人の玄関から聞こえてくる。
何の音かというと、隣人が玄関に鍵をかけた後、鍵が閉まっているかの確認のためにドアノブを押し込む音だ。
最初は何の音か分からなかった。
規則正しくドン・・・ドン・・・と聞こえてくる。
おそらく隣の部屋だろうと気付き、
そっとのぞき穴から確認してみる。(僕の部屋からは隣の玄関がギリ見える)
そこには、無表情にドアノブをひねっては押し込む人の姿が。
僕は見てはいけないものを見たという恐怖ですぐにリビングに戻った。
誰かが隣の家のドアを開けようとしてた。
閉まってるドアを何度も開けようとするなんてヤバいやつだ。
そう思い、しばらく家から出るのも躊躇われた。
そういえば隣人は4月から越してきた人で顔も見たことなかったな。
そんなことがあって1週間が経った。
たまたま帰宅時間が隣人とかぶることがあった。
隣人は以前、無表情にドアノブを押し込んでいたあの青年だった。
このとき、あー彼は鍵をかけた後に閉まってるか確認のためにあの作業をしてたんだなと初めて気づいた。
それからというもの、ほぼ毎日その音に耳を傾けてしまう自分がいた。
そして色んなことに気付いた。
毎日6時45分だということ
ドアノブを押し込む回数は必ず10回であること。
鍵を閉めてからすぐではなく、一呼吸おいてドン・・・ドン・・・と始めること。
とても几帳面な彼の性格が見えてくる。
僕は奥田英朗さんの小説『インザプール』を思い出していた。
インザプールに出てくる人物に、彼にそっくりな人がいた。
家を出た後に、タバコの火をちゃんと消したのかが気になり、家に戻って確認しなくてはおれないというような話だった。
一度の確認では気が済まず、何度も何度も同じことを繰り返してしまうのだ。
彼はそれを精神科に相談に行く。
そこで、家に電話をかけて繋がれば火事になってないことが分かるんでは?というアドバイスを受ける。
彼は最初こそ、電話で確認をしていたが、次第に
「燃え盛る炎のなか、奇跡的に電話だけ生き残ったらどうしよう」
と考えるようになる。
そうなればもう居ても立っても居られない。
どんなに遠くに出ていても、電話が鳴っていても家に帰らずにはいられなくなるという話。
その彼の病名が「強迫性障害」だったと記憶している。
隣人の彼の行動はまさしくそうじゃないのかと思ってしまう。
「あれ?ストーブ消したっけ?」
「あれ?エアコン切ったっけ?」
「あれ?ガスの元栓閉めたっけ?」
こんな経験は程度の差こそあれ誰でも経験したことがあるんじゃないだろうか。
僕だってしょっちゅうある。
そしてその半分は実際に消してないこともある。(消せ)
だが、玄関のドアの閉め忘れを10回も確認する必要はあるのかな?
トイレ、車、職場、ロッカー・・・日常の全ての動作にそのような確認が必要だとしたら、気の毒でならない。
強迫性の類はほとんどの人に表れる症状だと聞いたことがある。
ただ、ほとんどの場合は、こだわりとして認識され、日常の生活に支障をきたさないものだそうだ。
それが形となって表れ、日常の生活に支障をきたす状態を強迫性障害というらしい。
隣人の彼の行為はまだ「こだわり」もしくは「ルーティン」の部類で済んでるのかもしれない。
しかし、朝聞こえてくるあの音には悲壮感というかなんともいえない悲しい響きを含んでいる。
6時45分に、ドアノブを押し込む音が聞こえなくなり、バタンガチャンと颯爽と出かける彼を見る日が来ることを願う。