今週のお題「こんなバイトをしてました」
僕は相当バイトしてきた。
大学を6年間も行って、その間の学費や生活費をバイトで賄っていた。
卒業後は海外を旅するためにフリーターをしたりもした。
長期のアルバイトだけでなく短期のバイトや日雇いのバイトだってめっちゃした。
人生の結構な時間をバイトをして過ごしたともいっていい。
冗談抜きで日本でも上位に入るくらいのアルバイターだった。
今回は、これまで数えきれないくらいしてきたバイトの中で最も過酷だった『コメ運びのバイト』を紹介しよう。
めっちゃ長いので時間のある日に読んでください。
コメを運ばなければならない程の貧困
あれは確か大学5年生の冬だった。
もうホントにどうしようもない程にお金がなかった。
色んなバイトをしているのに。
とことん金がなかった。
理由はもちろん。
酒とギャンブルだ。
当時は、僕の家に同級生のゴク潰しが居候していた時期でもあり、二人そろって極貧状態。
生きるのに必死だった時期だ。
なんとかバイトはしているが、このままでは生活がままならない。
別のバイトをプラスしなければ。
そんなとき、居候の友人が短期のアルバイトを見つけてきた。
それが『米運びのバイト』である。
謎のバイト『コメ運び』
友人が僕に、「いいバイト見つけた」と言ってきた。
どんなバイトかを訪ねると、友人は「コメを運ぶバイトだ」とだけ教えてくれた。
なんなら友人もその情報しか知らないらしい。
共通の後輩を通じて紹介してもらったバイトで、細かい情報は聞かずに、ただ稼げるとだけ聞いたという。
バイト代は日給12000円。
今でこそそこまで高額バイトだという風には思えないが、当時最低賃金が600円台だったことを考えると、8時間のバイトで12000円もらえるなんて破格だった。
僕は「やる」と即答した。
情報の少ない高時給のバイトには慎重になるべきだということを知っていればな。
僕は後になってこんなことを思うのだった。
『コメ運び』当日
バイト当日、僕と友人は早朝7時半に、愛車の軽トラで港に向かっていた。
このバイトの前日に分かったのだが、このコメ運びバイトの正体は、どうやら海外から届くコメを船から降ろしてトラックに積み込んでいくというものらしい。
思ったよりも単純なもので安心していた。
体力には自信があったし、8時から17時。間に1時間の昼休憩。
楽勝じゃないか。
集合時間が早い以外はたいして問題ないだろうと。
軽い気持ちで港に着いた僕らを待ち受けていたのは、ちょっとどころではないくらい目を背けたくなる光景だった。
ざわざわ・・・
港には軽く100人を超える人間が列を作っていた。
みな受付のようなところに並び、そこからバカでかい船に向かって行列が出来ていた。
「カイジやん」
友人がつぶやいた。
ホントにその通りだと思った。
バカでかい船に、ちっぽけな人間がドンドン吸い込まれていく。
船体に『エスポワール』とは書かれていない。
しかし、船に並んでいる人はみなそれぞれ何か事情を抱えているように見えた。
幅広い年齢層の男たちが暗い顔で船に吸い込まれていく。
船上からは東南アジア系と思しき若者たちが見下ろしているという不思議な構図だ。
もしかして僕らもこの中に入るのか・・・
何とも言えない不安が襲ってきた。
大学生っぽい集団もいれば、一癖も二癖もある中年の男性。お年寄りといっても差し支えないほどの高齢者。パッと見ただけで社会に適合するのが難しいことが分かるようなアクの強そうな人たち。
そしてその人たちを船上からニヤニヤと見下ろす東南アジア系の若者たち。
ものすごい失礼な話だが、『落ちるとこまで落ちてしまった』という感覚を覚えた。
僕らはセーフ
ある種絶望の気持ちで軽トラを降りる。
冬の港は風が冷たい。
急いで車に戻り、煙草に火をつける。
集合時間まであと10分ある。
焦ることはない。
煙草をギリギリまで吸いきって車を出た。
そして受付と思しき列に並ぶ。
とうとう収監される時が来たのだ。
受付で名前を書き、紹介者の名前を尋ねられた。
僕らは後輩の名前を書き込んだ。
すると、受付の人も「おやっ?」とした様子で顔を上げて、
「あなたたちはあちらに向かってください」
そう告げて、船ではなく船が接岸している堤防の端を指さした。
僕らの今日の職場は船上ではなく地上だったのだ。
仕事内容
僕らが連れていかれたのは船が接岸している堤防に設置された謎の舞台だった。
だいたい5メートル四方の木造の舞台。
高さは2メートルくらい。
その舞台上に二人の男性が、舞台の下に4人の男性がいた。
僕らは舞台の上にあげられた。
そこで説明を聞く。
僕らの仕事は、船上からクレーンで運ばれるコメを舞台下にいる人たちに渡していくというものだ。
いまいちピンとこなかったが、なんとなく出来るだろうなと思っていた。
むしろラッキーくらいに思っていた。
船の上だともっとしんどかっただろうなと。
船上の人々は船の中に積まれているコメをクレーンに積み込むということだと思う。
あの人数で船上でそんなことをしているのか。
オープンエアーで少人数で働けるだけマシだ。
そんな風に思っていた。
ほどなく僕らは軍手と手鉤を渡される。
こんなやつ
これでコメの袋を刺して下に放り投げるという塩梅だ。
やってやろうじゃないか。
僕らの戦いが始まった。
バトル開始
8時過ぎにとうとうコメ運びは始まった。
船の中から巨大なクレーンが伸びている。
その先にはバカでかい網がぶら下がっている。
その中にコメ袋が大量に入った状態で僕らの舞台に降りてくる。
ざっと見たところ100以上はありそうだ。
網が舞台に着地すると僕らはその網をほどき、大量に積まれているコメ袋を手鉤を使って落とす。
そしてそれを引きずって下で待ち受ける人にパスするという流れ。
こうやって書けば簡単な話だ。
だが大きな問題がひとつ。
袋が重すぎるのだ。
一つ30キロの袋は簡単には動かない。
全力に近い力を込めないと袋は持ち上げれない。
最初のターンを終えるころには息は上がり、腕は重くなっていた。
止まることないクレーン
一つ目のターンを終えて安堵したのもつかの間、僕らの頭上には次の網がぶら下がっていた。
クレーンは二つあり、無駄のない流れで次から次へとやってくるのだった。
頑張って網を空にする。
頭上ではパンパンのコメ袋がスタンバイ。
これの繰り返し。
そこからはもう気も遠くなるような時間だった。
1時間もすれば腕はパンパンになり、2時間後には腰がしびれ足さえもパンパンになる。
午前が終わった時には全身が痛く、言葉すら出てこない状態だった。
休憩の合図があり1時間の休憩となる。
僕と友人はフラフラになりながらもなんとか軽トラにたどり着いた。
昼ご飯を用意してなかったので近くのコンビニまで行く。
全然金がないので、デカいパンと水を2リットル。そして一番安いたばこであるわかばを購入してコンビニを出た。
そして狭い軽トラの中でパンを食べて煙草を吸う。
休憩時間中は惨めな気持ちがあふれていた。
休憩が終わり、軽トラから降りる。
窮屈な姿勢で座っていたので降りた瞬間足が動かなくなってその場に崩れ落ちてしまった。
全身の疲労は深刻なようだった。
午後は舞台上のメンバーと舞台下のメンバーそれぞれ疲労とイライラがたまってきたのか、非常に険悪なまま作業は続いた。
舞台下のおじさんたちは、僕らの渡し方が悪いと怒鳴ってくる。
僕ら舞台上のメンバーは、下で受け取る人たちのペースが遅いと応戦する。
これほどピリついた仕事はこれまでの人生でしたことがない。
最初のほうこそともに怒鳴りあったりしながらしていた作業も、そのあとは誰も口を開かない状態へと変わった。
クレーンは相変わらず2つが休むことなく稼働している。
船の中の人も休むことなく働いていることだろう。
世の中にこんな大変な仕事があるのかと思った。
体力には自信のあった僕がこんなにも追いつめられるとは・・・
がむしゃらに働き続け、ようやく作業は終わった。
社会の闇
「今日はここまでにしよう」
係りの人の声で作業は終わった。
僕の感情は無だった。
黙って空を見上げる姿勢になっていた。
他の人もみんなそうしていた。
下にいる作業員のおじさんは係りの人につかみかかる勢いで何かをキレていたが、僕らはそれに反応するような感情はもうなかった。
船からもぞろぞろと人がおりてくる。
みな僕らと同じように疲弊しきっていた。
そして最後に受付に向かう。
僕らは今日一日だけの契約だったので、日当をもらいに行く。
すると、僕らの日当は翌日以降に本社に取りに行ってくださいと言われた。
しかし、船から降りてきた人々は列に並んで封筒をもらっている。
その列の中に知り合いがいたので声をかけてみた。
これまでに何度か日雇いのバイトを共にした知人である。
そんな彼に日当がもらえたのかを尋ねるとこう言った。
「もらえたでー!僕は1週間あるけんど日払いの約束やき毎日もらえるで。」
1日だけの単発の僕らが後日払いで、1週間働く彼らがその日払いなのはなんだか変な話だなと思っていたら、彼の封筒の数字が目に入った。
え?そんな馬鹿な・・・
気になったのでいくらもらえたのか聞いてみた。
「10000円やで!!高いやろ?」
僕は何も言えなかった。
僕らよりも2000円安い金額だ。
きっと彼は僕らとは違うルートで仕事を斡旋してもらったのだろう。
それ以上は何も深く考えなかった。
考えることが出来ないほど疲れていた。
社会にはあまり触れてはいけないような闇深いものがあるというのを肌で感じた経験だった。
その日は体がバキバキで思うように動けず、お風呂場では体を洗う動作すら大変だった。
そして翌日は朝起きた瞬間、自分の身体とは思えないほどの身体の重さに驚いた。
トイレに行くのにもうめき声をあげるレベル。
みんなこんな状態で今日も働くのか・・・
僕らよりも2000円も安い日当で。
きっとこんなことは日本中、いや世界中で起きていることなのだろう。
不公平だとも思うし仕方ないのかなとも思う。
僕らには金がない。
金がないということは余裕がない。
余裕がないと正常な判断はしにくい。
貧すれば鈍するだ。
そうなれば悪い人たちの格好の餌食というわけか。
僕らだってそうかもしれない。
ホントは僕らより高い日当で働いてる人があの中にいたかもしれない。
何とも言えない気持ちになったが、忘れることにした。
起きてきた友人とともに本社へ昨日の日当をもらいに行き、その金をもってパチンコ屋へと向かうのだった。
おしまい。
