今週のお題「10年前の自分」
10年前の今頃どんなことしていたかな。
ため込んだ日記を漁ってみた。
懐かしさからしばらく読みふけってしまう。
10年前の僕は海外から帰ってきたばかり。
熱い暑い東南アジアの旅を終えて、燃え尽き症候群の抜け殻状態の絶賛ニート中。
社会の歯車を遠巻きに眺める僕がいた。
毎日手巻きのタバコを巻いては吸い、吸うては巻き。
どんな場所でもどんな状態でも素早く巻きたばこを作れる職人と化していた僕。
自分で巻いたたばこを吸い、その煙ごしに世の中を見ていた。
いつかは自分もこの煙の向こう側に行くんだな。
普通に働いて普通に暮らすという世界はまだ遠くにあった。
親元を離れてのニート生活はなかなか難しく、すぐに働かざるをえなくなる。
以前働いていたバイト先からのオファーを受けてバイトを再開。
ニートからフリーターへの昇格を果たした。
先は全然見えないが、すぐに生活が出来るくらいには仕事がある。
自分を求めてくれる場所がある。
そのことに安堵しつつ、26歳のフリーターという結構ギリギリの状態を謳歌していた。
26歳フリーター
そこまでヤバいってことではないと思う。
世の中にはたくさんいると思う。
なりたいものになるため、バイトをしながら夢を追う人たち。
体調や家庭の事情で定職に就くことが出来ない人たち。
正社員を目指して就職活動しているがなかなか決まらない人たち。
そういった人たちの状況をどうこう言うつもりはない。
でも当時の僕はそういうことでもなかった。
大学を卒業して、フラフラと旅したりすることを選び、帰ってきてからも何も決めきれずにダラダラしていた。
「その気になればいつでも働けるし」
そんな思いはありつつも、
『26歳のフリーター』である自分に対する漠然とした不安は確実に自分の周りを覆い始めていた。
大学時代の同級生たちは結婚して子どもを授かり、幸せそうな様子をSNSで発信してくれる。
羨ましい・・・とは思わなかった。
強がっているわけでもないし、妬むでも僻むでもない。
斜に構え、自分の自由なポジションを声高にアピールするつもりもない。
でも少し、そっとしてほしい気持ちはあった。
ひっそりと暮らしたかった。
自分の今の暮らしぶりを、出来ることなら誰にも知られたくなかった。
このなんとも言えない当時のことを表す文が自分の日記から見つかった。
悪いことしてるわけでもないし、誰かを裏切ったわけでもない。
なのになぜか遠くで知り合いを見つけると道を曲がってしまう。
「久しぶり。今何してんの?」
そんなことを聞かれるのが恐いのかもしれない。
そもそもそんなこと聞かれるのが恐いほど、自分の評価なんて高くないかもしれないのに。
当時の僕は詩人である。
幸い今は普通に働いて普通に暮らしている。
決して裕福ではないが2,3の趣味を楽しめるくらいの生活は出来ている。
当時の僕の吐いた煙の向こう側に来ていることだろう。
でも僕はまだ忘れていない。
10年前のちょっぴりセンチな自分のことを。
今は吸ってない巻きたばこの煙の向こうでたたずむ僕のことを。