むらよし農園

面白いことが書ければと。

ちょっとした心地よさの積み重ね

今年の夏前に購入したカトラリー入れがある。

 

カトラリー入れというか、食器を洗った後に箸やスプーンなどを立て掛けるやつね。

 

洗い物の水切り用のシンクバスケットに立て掛けて使っていた。

 

素材はステンレスで形もスタイリッシュ。

文句のない見た目のカッコよさで、一目ぼれして購入した。

 

しかし、買ったその日にその圧倒的な使いづらさに気付いてしまう。

 

箸を入れりゃ無駄に空いた隙間からはみ出る。

スプーンを入れりゃ無駄に空いた隙間から飛び出していく。

大さじを入れりゃ無駄に空いた隙間にハマって抜けなくなる。

 

もう信じられない程使いにくかったのである。

 

全くもって使い物にならないことは、買ったその日に気付いた。

しかしそのかっこよさと、「安くなかった」という卑しい思いから使い続けざるを得なかった。

 

それからの日々は苦痛以外なにものでもなかった。

 

毎日毎日洗い物をするたびに、その圧倒的な使いにくさを実感する。

 

1日に洗い物をしている時間なんてほんのわずかだし、そのわずかな時間のうち箸やスプーンを扱う時間なんてホントにホントにわずかである。

 

それなのに洗い物のたびに大きなストレスを感じるようになっていた。

 

それから4か月使い続けた。

 

我ながら我慢強い男だと褒めてやりたい。

 

 

今月のある日。

 

いつものように隙間に滑り込んでいたスプーンを取ろうとしていた時のこと。

 

絶妙に他の食器やステンレスのシンクバスケットと絡み合ってなかなか取れない。

 

15秒ほど格闘しただろうか。

 

 

僕の中の何かが音を立てて切れてしまい。

 

 

僕はスプーンを取ることを諦め、冷蔵庫から出していたヨーグルトもそのままに家を飛び出した。

 

 

そしてダイソーへ行き、同じようなサイズで手ごろなものを買ってきた。

 

 

家に戻り、無駄に光り輝いているステンレスのカトラリー立てを取り出し、燃えないゴミ入れにぶん投げた。

 

 

そしてダイソーで買って来たものをそっと置いたのである。

 

1週間使い続けた感想ですが。

 

 

 

 

僕がこれまで使ってたものはただのゴミだった。

 

 

 

 

です。

 

価格は15倍以上するものでしたが、捨てたことに何の後悔もありません。

 

むしろ、毎日の洗い物をストレスなく出来ている喜びをかみしめています。

 

 

幸せっていうのはきっとこういうこと。

 

 

なにかものすごい大きな喜びを手にすることではなく、

 

ちょっとした心地よさや快適さ。

そういったものの積み重ねこそが幸せなんだ。

 

 

僕はそのことに気付けました。

 

毎日使うものだからこそ自分が気に入ったものを。

使いやすいものを。

 

それこそが幸せの入り口かもしれません。

 

ゴミ箱にぶん投げたステンレス製のカトラリー立てよ。

 

 

気付かせてくれてありがとう。

今週のお題「生活の知恵」