前回の話はこちら↓↓
新しい宿へ
数日チョンキンマンションで過ごして分かったことは、
・この建物はインド人に占領されているということ。
・僕の泊まってる部屋の料金は、確実にぼられているということ。
・一日に数回は奇声が聞こえるということ。
・Wi-Fiだけが唯一満足できるクオリティだということ。
の4つだ。
これ以上いても、インド人の友達しか出来ないと悟り、宿を変えることにした。
次の宿も、事前に調べていた、ドミトリータイプの日本人宿である。
海外までいって日本人宿に泊まることに抵抗がある人もいるかもしれない。
しかし、バックパッカーにとって、最も重要な『生』の情報を仕入れる一番の場所が日本人宿なのだ。
今あのあたりは治安よくないよ。
この宿安いし綺麗だったよ。
あの宿はめっちゃボってくるから気をつけてね。
こんな情報はネットでは見つからない。
実際に旅してきた人からしか聞けない生の情報は、時にお金よりも重要だったりする。
僕はその情報を得るために、日本人宿に行くのだ。
決して寂しかったからではない。(寂しい)
ラッキーハウス
次の宿の名は『ラッキーハウス』という日本人宿。
おそらく香港で一番有名な日本人宿ではないだろうか。
今では、伝説の宿などと言われている。
まぁその理由は後ほどじっくりと。
チョンキンマンションを後にして、またも大荷物での移動となる。
初日のマックを反省して、それからは現地飯しか食べていなかった。
しかしこの日もラッキーハウスの場所が分からず、Wi-Fiのためにこの旅2度目のビッグマックとなった。
ラッキーハウスは、九龍の上海街というめちゃめちゃ賑やかな場所にある。
場所だけで言えば超一等地だ。
漢字ばかりの街に不意にカタカナで
『ラッキーハウス』というシュールな看板が目印だ。
僕は夕方に到着。
緊張しながら階段を上がると、これまで見たことないほど個性的なエントランスが現れる。
みんなが思っている、ホテルやゲストハウスという概念をぶっ壊してくるスタイル。
しかし、エントランスでビビっていたらこの宿には泊まれない。
衝撃のベッド
オーナーが笑顔で迎え入れてくれた。
この伝説の宿の名物オーナーは、非常に活動的で、1日中精力的に動いている。
そのため、オーナーが宿を空けているときは、泊まっている客の誰かが、チェックインやチェックアウトの業務をこなすという不思議な営業スタイルだ。
僕は運よくオーナーに案内された。
施設一つ一つが衝撃的に古くて驚くが、一番驚いたのはベッドだ。
僕は個室ではなく、一番安いドミトリータイプの部屋をとったのだが、海外では一番よくある、2段ベッドが複数置いてあるタイプ。
よくあると言ったが、ラッキーハウスほどの衝撃を受けた宿は後にも先にもなかった。
さぁこの素晴らしく個性的でイカした部屋を見てくれ。
色々と突っ込みたいことがあるのは分かるが、まずは説明から。
僕のベッドは正面奥の二段ベッドの上の段、換気扇の真下だ。
それ以外のベッドは別の宿泊客が泊まっている。
ひとつひとついこうか?
まず、布団は寝袋とタオルケットである。
いつからあるかは不明だが、昔の宿泊客が置いていったものを使っていると聞いた。
そしてベッドの古さであるが、上の段は少しの振動でかなり揺れるし、ギシギシ音がヤバい。
清潔かどうか?そんなもの気にする人はこの宿には辿り着けない仕組みになっている。
なんか寒いな
その日は、荷物を置いて一人でヴィクトリアピークへと遊びに行った。
頂上まで行くのに時間もお金もかかったが、最後の展望台の行列を見て萎えてしまい、途中で引き返した。
雨降ってたし寒かったし。
なので100万ドルの景色見てない。
途中なのでせいぜい75万ドルくらいかな。
宿に戻り、同じ部屋の人と自己紹介。
タッチーさんとガンジーさんという日本人バックパッカーの方だった。
すぐに打ち解けて、一緒にカールスバーグを飲んだ。
そしてその日は12時過ぎに就寝。
夜中、寒さで目を覚ます。
冬だから仕方ないがそれにしても寒すぎるだろ。
窓開いてるんか?確認すると、しっかり閉まっている。
換気扇の存在を思い出し、止めてみる。
しかし、外とつながってることには変わりないので、寒さに耐えながら寝た。
翌朝、早めの起床。
寒くて全然寝れなかった。
ふと、風が吹き込んでいるのに気付く。
窓閉まってるはずなのにな。
そう思いカーテンを開けると、
窓は割れていた。
そら寒いわけだよな。
ラッキーハウスのその後
ラッキーハウスは2022年現在、閉業している。
色々な情報を読むと、数年前にオーナーさんが亡くなっていた。
僕が泊っていた当時で80を超えていたという話も聞いていたので、仕方ないのかな。
僕はこれまでの海外経験で、ラッキーハウスほど衝撃を受けた宿はない。オーナーとの会話も、そこで出会った人との時間、全てが特別な思い出だ。
ラッキーハウスに泊まったことのある、多くの旅人たちと、あの経験を共有できることを誇りに思う。
オーナーの冥福を祈るとともに、この記事が、旅人たちの、ラッキーハウスを思い出すきっかけになってくれれば幸いだ。