充実の日曜日は23時には幕を下ろす。
疲れていたのか一瞬で眠りに落ちた。
目覚めたのは2時半。
ちょっと早すぎるんじゃない?
もう一度眠り次は3時半。
まだじゃない?さすがにまだだよ。
次が4時半。
ここらへんで勘弁してやるか。
でも何していいかわからずエアコンつけて5時までは布団にいた。
5時から活動開始。
本読んだり、スケジュール見たり朝食作ったり。
やはり昨日のサウナは確実にいい効果を与えてくれている。
そんなことを考えながら一日を過ごし、気が付けばサウナマットなどをポチっていた。
これじゃサウナ―みたいじゃないか。
そういえば最近サウナ用のいい感じのタオルや、サウナに行くときに持っていくセットを入れるバッグなども買っている。
これじゃサウナ―みたいじゃないか。
「自分のことをサウナ―とは言いたくない」
2年前くらいにそう思った事がある。
それは決して世のサウナ好きの方々に対する嫌悪感などではなく、流行りものに乗っかるのにちょっとした抵抗があっただけだ。
素直になれなかったんだな。
もともとサウナ好きなのに、いきなり自分のこと「サウナ―」とか言い出したら周りの人から
「あっあいつ最近サウナにハマったミーハーなやつだ」
と思われるのが嫌だった。(そもそも誰も僕のことなんて見てないのに)
そういう感情ってみんなあると思う。
「流行りに乗っかるのがダサい」みたいな。
流行りに流されずに、自分の好きなことをブレずにやりたいみたいな。
歳を重ねるとなおさらだ。
しかし、最近そういうのも違うんじゃないかと思い始めている。
流行りなんて全部乗っかってもいいんじゃない?
自分の好きなものがあるのはすごくいいことだし、ブレない価値観を持っている人ってとっても素敵。
だからって新しいものに敏感であっちゃダメってことはないよね。
何でもやってみよう。
一回乗っかってみよう。そのうえでいいものかどうか見極めよう。
そのくらい柔軟な考えの方が人生楽しいんじゃない?
短い人生で、自分の好きなことだけする。好きな音楽だけ聴く。好きなものだけ食べる。好きな人とだけ話す。好きな服だけ着る。好きな映画だけ・・・
それも確かにいい。絶対にいい。
でもそれだとまだ自分の知らない「好き」に気付かないよね。
なんだか説教臭くなったな。こんなことが言いたかったわけじゃないんだ。
何を言いたいかというと。
今日から「サウナ―」って名乗っていいですか?(小声)
サウナ上がりに使うお肌のお手入れセットや、ヘアオイルまで買っちゃったので、「サウナ―」って言ってもいいですか?(小声)
あまり使いたくなかった「ととのう」とか言ってもいいですか?(小声)
チンケでミーハーなおじさんって思わないでください。
あっあいつも素直になれたんだなと温かい目で見守ってください。