全くもって眠れない。
何でかは分からないけど眠れない。
頭のなかをいろんな事がごちゃごちゃとループする午前4時。
もうとっくに眠ることは諦めた。
外に出てみる。
-1度。
どえらい寒さのなか、一本タバコを吸ってみる。
やめてるはずなんだけどな。
先日よく見てるブロガーさんがタバコのことを書いてたので僕も書いてみることにしよう。
僕は小さい頃からしていた部活を引退した大学5年生からタバコを吸い始めた。
きっかけは海外にプラプラしにいったときのこと。
世界を一周してきた友人と東南アジアで合流した。
その際、彼が持ってた巻き煙草がスタートだ。
『ゴールデンバージニア』というやつだったと思う。
自分で巻いて吸うしぐさがかっこよかったのと、滞在中あまりにも暇でやることがないので自然と吸うようになっていた。
観光もせずダラダラとチャイナタウンで酒を飲んでいた僕らには手でタバコを巻くくらいしかやることがなかったんだな。
そのうち既製品か?というほど巻くのがうまくなる頃には自分で巻くのがダルくて普通のタバコを買ってた。
日本に帰ってからは本格的に喫煙者。
最初に選んだのは『ハイライト』
誰がなんと言おうと1番かっこいいパッケージだろう。
あと確か両津勘吉がタバコを吸っていたときの銘柄だったと記憶してる。
それから色々吸って最終的に『クールマイルド』に落ち着く。
お金がないときは『わかば』か『エコー』なんだけどね。
当時はまだギリギリ吸える場所も多く、思い出のほとんどの場面で右手にタバコを持っていた。
僕は競技者だったとき、左手が利き腕だったのでなんとなくタバコを持つことをためらわれたんだ。
心のどこかでタバコに対して、不浄のもののように感じていたのかも。
今でも左手で吸うことはない。
今でこそ、基本的には吸わない生活になったが、当時はバリバリの喫煙者。
ご飯のあと、コーヒーのお供、酒のつまみ、暇潰し、気分転換、スロットでARTに入ったとき・・・
タバコを吸うタイミングは1日に何度も訪れる。
タバコが吸える喫茶店で打ち合わせなんてした日には、会話してるよりタバコ吸ってる時間のほうが長かった。
また、不思議なことにタバコは空気がきれいなとこで吸うとより美味く感じる。
キャンプで吸うたばこのなんとうまいことか。
体にいいことは一個もないってことは重々分かってる。
世間からすごく嫌われてることも分かってる。
迷惑をかけていることもやっぱり分かってる。
喫煙者の一部のマナーがすごく悪いのも分かりきってる。
それでもタバコを吸うことはかっこいいと思ってたんだよね。
もちろん、美味しいとかスッキリするとかもあるんだけど心の奥底にタバコを吸う行為がかっこいいと思ってる自分がいたんだ。
みんななんだかんだそうじゃないかな?
夜も深い時間。
一仕事終えた疲れた男がポケットからくしゃくしゃのハイライトを出す。
残り本数が少なく取り出しづらい。
ごそごそと一本取り出して口にくわえる。
ライターで火をつけ深く吸い込みゆっくりと吐き出す。
吐く息さえ白い寒さのなか、いつもより濃い煙が立ち上る。
男を感じないかい?
そんなこんなで10年ほど吸ったが終わりは突然やって来る。
しこたま飲んだ次の日のこと。
友人から、奥さんが妊娠したという話を聞いた。
そしてその妊娠を機に奥さんからタバコをやめるように言われてしまったという話も。
一人でタバコをやめる決心がつかなった友人は僕にこう持ち掛けた。
「一緒にやめてくれん?」
なんとなくだが、やめるときってのはこういう時なのかなと思い
「いいよ」
と告げて二人でタバコを捨てた。
最低最悪な二日酔いだったこともあり、吸いたい気持ちがゼロの状態でやめることが出来た。
それからの禁煙の日々の話はまたそのうち。
最近はタバコを吸える場所は公の場にはほとんどないといってもいい。
職場はもちろん喫茶店や居酒屋でも。
いまになって思えば、どんな場所に行っても喫煙所の場所を確認したり、飲み会の会場を探すときに、美味しいとかコスパがいいとかではなくタバコが吸えることを前提に探したり。
移動をしていてもタバコの休憩が必要だったり、仕事の休憩時間を喫煙所まで走って行ったり。
無駄な時間を多く過ごしていたんだなと思う。
それでもそういう無駄な時間が楽しかった気もする。
タイトルの「最後の喫煙者」は大好きな筒井康隆先生の著書のタイトルだ。
今の世界はまさにこの小説の世界みたいになってきている。
いいのか悪いのかは置いといて世知辛いなとは思う。
なんだかなぁ。
よし。
もう一回禁煙しよ。
とりあえず
来年からで。